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世界史の誕生
西洋史も東洋史もそれぞれ偏ったものの見方をしているのでそれを単純に世界に当てはめても世界史にはならない、新の世界史はモンゴルに始まるユーラシア大陸中央部の騎馬民族の視点から描かれるべし、という主張を歴史の細かなディテールから説明した本。

以前同じ作者による「歴史とはなにか」(文春新書)を読んで良かった覚えがあったので、なんとなく代表作っぽいこの本を手に取ってみた。

結構読むのが大変だった。なにが大変かって、内容が細かい。覚えにくい名前の騎馬民族がどうしたこうしたと事実を積み上げていって最終的に作者の主張に導いている。読み物というより論文に近いと思った。

論旨のためにまず西洋史と東洋史のそれぞれの歴史観の偏りについて説明している。

まず西洋史は世界初の歴史家とされるヘロドトスのその名も「歴史」という作品であり、これは西洋の小国がペルシアという東洋の大国の脅威をいかに退けたかという筋書きになってる。ゾロアスター教から始まりユダヤ教を経てキリスト教に至り、善が悪に勝つという歴史観が確立していった。なので、実際にはゲルマン人大移動などユーラシア大陸中央部からの騎馬民族の移動によって引き起こされた歴史のダイナミズムが重要なのにも関わらず、ローマ帝国の遺産にこだわり、それが失われた暗黒時代が無視され、レコンキスタやルネサンスなんかに焦点があたる偏った歴史観となった。

一方で東洋史は司馬遷の「史記」(正式名は違うけど)に始まり、これは支配者の「正統」を第一とする歴史観を持っていた。要は権力者による理由付けだろうか。なので、実際には騎馬民族に実効支配されていた中国本土の歩みにあれこれ理屈づけて、実際には弱かった勢力を中心に描いたり、騎馬民族を無視したりあたかも漢民族であるかのように扱ったりした。

そしてそのあと作者の専門であるモンゴル史、モンゴルや突厥(トルコ)や鮮卑などの騎馬民族の歩みが細々と(といってもかなり簡潔に事実だけを説明しているに過ぎないのだけど)説明し、世界史を騎馬民族から見ればかなりすっきりと見通しの良い統一理論的な歴史を描けるのだと主張している。

おまけとして、最初中国を師匠とし近代になってから西洋に教えを請う立場となった日本の中での歴史の考え方の迷走について語られているのがとても興味深かった。なかでも私が一番驚いたのは、ローマ「帝国」は実は帝国ではなく共和国だということ。日本で言われているローマ「皇帝」とは実は「元老院の筆頭議員」に過ぎないのだという。もちろん権力は集中していたのだろうけど、これを日本で「皇帝」としたのは明らかに中国から輸入した史観の影響を受けてのことだと言っている。

とても勉強になる立派な本だと思ったのだけど、正直私には少し重かった。でも大して間も置かず短時間で読めたのは、目が覚めるような素晴らしい知見と、それを証明するため必要十分で簡潔な事実の記述によって本書が構成されているからだと思う。今回私がざっとまとめたように噛み砕いてまとめたほうが読みやすくて時間も掛からずに楽なのだろうけど、ちゃんと教養として身につけるには本書ぐらいの内容の本を読まないと地に足がつかず浮いた知識になってしまう。それはそれで十分ためになるのだけど、さらに方々に展開していくには足りない。

歴史が大好きで歴史について自分で色々考えてみたい人に、土台の教養を身につけるためとして本書を勧める。
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